第5話 棺の内
桐沢が死んだ。一ヶ月足らずの闘病というのは急逝に近いだろう。
今日はその告別式に、吉見とふたり、重い心を持て余しつつ、北山通の葬儀場までやってきた。
桐沢と私と吉見は、十代の頃からの知己だから、二十年以上の付き合いになる。
当然いろんなことがあったが、三条烏丸の古いバーや、私のボロマンションで、たいていは吉見が言い出して、よく霊の話なんかをしたものだ。
吉見はいつも、霊は理屈を越えたもので、確かに存在すると主張し、私は理屈の合わないものは、一見霊のように見えても、それは別の理屈下にあるものだとよく言った。
桐沢は、そもそも霊の存在などを議論することが無意味で、あるものはある、ないものはないだけだ、というスタンスだった。ある意味、吉見の主張に似ている。
そんなくだらない話も、もう、桐沢を交えては、することもできなくなった。

式場は、中央に棺と焼香台を置き、その後ろの左右に親族席、棺に向かって一般参列者席という配置だった。
親族も参列者もほぼ着席したが、僧侶が来るには、少し間があった。
線香の匂いと、滅多に着ない礼服にこもった微かな樟脳の匂いが、仏式葬儀独特の雰囲気を醸し出している。
「・・・親族席の一番左端の人だけど」と隣の吉見が数珠をまさぐりながら、小さな声で私に言う。「似てないかい?」
「俺も言おうと思ってたところさ。そっくりだ、他人のそら似も限度があるという感じだな」私も小さな声で答える。
「だろ?兄弟だろうね。双子の兄弟かな?聞いていたかい?」
「いや、姉さんが一人だけで、男の兄弟はいないはずだ。従兄弟か何かだろう」
「それにしては似すぎだな。本人と言っても通りそうだよ。桐沢のやつ、ほんとに死んだのかな?もしかして・・・あれは桐沢じゃ?」
「馬鹿なことを言うな。じゃあ、あの棺桶の中には誰が寝てるんだ」
「気になる・・・ちょっと挨拶だけしてくるよ。誰だか判るだろうし」
「よせよ。もう坊さんが来るぞ。終わってからにしろよ」
私は吉見のズボンを掴んで引き留めたが、「すぐ済む」と、それを振り切って、吉見は席を立った。
私は苦々しい思いで、配られた手垢の付いたお経の小冊子に目を落とした。
ちょっと間があって、反対側隣の婦人が私にささやく。
「ご友人ですか?わたくしは、故人の奥様の趣味のサークル仲間の者なのですが」
「ええ。私も連れも、故人の桐沢とは学生時代からの、古くて長い友人同士だったのですよ」
「急なことで・・・ご心痛でしょう」
「元気でしたからね、ついこの間まで。一ヶ月ほど入院するとは言っていましたが、退院予定も確定しているふうで。まさかそんな重病で、こんなに早く逝ってしまうとは。無常ですね」
私は、お経の冊子に眼を落としたまま答えた。
「お連れ様は、よほどショックだったのでしょうね?」
婦人はさも心配そうに言う。
「まぁ、でも、いい大人ですし、早かれ遅かれ、人はいずれ皆死ぬわけで・・・残念で寂しいことですけどねぇ」
「そうでしょうか・・・。わたくしにはよく解りませんが、男性同士の深い友情というのもあるのではないですか?心理的なショックが余程だったのだと思いますよ。気遣ってあげてください」
「はぁ?まぁ、それほど心配には・・・」
私も吉見と同じように、桐沢の友人だったんだ。なんで、私だけが吉見を気遣わねばならないのか、ちょっと理解できなかった。
私は苦笑しながら、顔を上げて親族席の方を見た。
不思議なことに、親族の人たちは、一様に怪訝な顔で吉見の方を見ている。
吉見はというと、一番左端のその席に向かって、小声ではあるが、手振りまで交え、しきりに何か話しかけている。
しかし、その席には、もう誰も座っていないのだ。
(完)
今日はその告別式に、吉見とふたり、重い心を持て余しつつ、北山通の葬儀場までやってきた。
桐沢と私と吉見は、十代の頃からの知己だから、二十年以上の付き合いになる。
当然いろんなことがあったが、三条烏丸の古いバーや、私のボロマンションで、たいていは吉見が言い出して、よく霊の話なんかをしたものだ。
吉見はいつも、霊は理屈を越えたもので、確かに存在すると主張し、私は理屈の合わないものは、一見霊のように見えても、それは別の理屈下にあるものだとよく言った。
桐沢は、そもそも霊の存在などを議論することが無意味で、あるものはある、ないものはないだけだ、というスタンスだった。ある意味、吉見の主張に似ている。
そんなくだらない話も、もう、桐沢を交えては、することもできなくなった。

式場は、中央に棺と焼香台を置き、その後ろの左右に親族席、棺に向かって一般参列者席という配置だった。
親族も参列者もほぼ着席したが、僧侶が来るには、少し間があった。
線香の匂いと、滅多に着ない礼服にこもった微かな樟脳の匂いが、仏式葬儀独特の雰囲気を醸し出している。
「・・・親族席の一番左端の人だけど」と隣の吉見が数珠をまさぐりながら、小さな声で私に言う。「似てないかい?」
「俺も言おうと思ってたところさ。そっくりだ、他人のそら似も限度があるという感じだな」私も小さな声で答える。
「だろ?兄弟だろうね。双子の兄弟かな?聞いていたかい?」
「いや、姉さんが一人だけで、男の兄弟はいないはずだ。従兄弟か何かだろう」
「それにしては似すぎだな。本人と言っても通りそうだよ。桐沢のやつ、ほんとに死んだのかな?もしかして・・・あれは桐沢じゃ?」
「馬鹿なことを言うな。じゃあ、あの棺桶の中には誰が寝てるんだ」
「気になる・・・ちょっと挨拶だけしてくるよ。誰だか判るだろうし」
「よせよ。もう坊さんが来るぞ。終わってからにしろよ」
私は吉見のズボンを掴んで引き留めたが、「すぐ済む」と、それを振り切って、吉見は席を立った。
私は苦々しい思いで、配られた手垢の付いたお経の小冊子に目を落とした。
ちょっと間があって、反対側隣の婦人が私にささやく。
「ご友人ですか?わたくしは、故人の奥様の趣味のサークル仲間の者なのですが」
「ええ。私も連れも、故人の桐沢とは学生時代からの、古くて長い友人同士だったのですよ」
「急なことで・・・ご心痛でしょう」
「元気でしたからね、ついこの間まで。一ヶ月ほど入院するとは言っていましたが、退院予定も確定しているふうで。まさかそんな重病で、こんなに早く逝ってしまうとは。無常ですね」
私は、お経の冊子に眼を落としたまま答えた。
「お連れ様は、よほどショックだったのでしょうね?」
婦人はさも心配そうに言う。
「まぁ、でも、いい大人ですし、早かれ遅かれ、人はいずれ皆死ぬわけで・・・残念で寂しいことですけどねぇ」
「そうでしょうか・・・。わたくしにはよく解りませんが、男性同士の深い友情というのもあるのではないですか?心理的なショックが余程だったのだと思いますよ。気遣ってあげてください」
「はぁ?まぁ、それほど心配には・・・」
私も吉見と同じように、桐沢の友人だったんだ。なんで、私だけが吉見を気遣わねばならないのか、ちょっと理解できなかった。
私は苦笑しながら、顔を上げて親族席の方を見た。
不思議なことに、親族の人たちは、一様に怪訝な顔で吉見の方を見ている。
吉見はというと、一番左端のその席に向かって、小声ではあるが、手振りまで交え、しきりに何か話しかけている。
しかし、その席には、もう誰も座っていないのだ。
(完)
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