第3話 占い
吉見とふたり、雑居ビル地下のバーを出て、狭い階段を上がると、遠くで雷鳴が聞こえた。
降ってきそうだ。
タクシーを拾おうと、十メートルも歩かないうちに、吉見が足を止めた。
すでに閉まったビルのシャッターの前、小さな机を置いた女易者の前だった。
机の上には、妙な絵柄のカードやら曼荼羅みたいな絵やら、いくつかの小道具が並んでいる。
易者と目が合ってしまったが、いかにもそれらしく目元をきつく化粧した、中年少し前くらいの女だった。

「行こうぜ。降ってきそうだ」
「や、先に行ってよ。すぐ追いつくよ」
どうやら吉見が客になりたそうなので、私は、急ぎ足で、次の交差点の信号の下まで歩いて煙草を探った。
振り返ると、占いは簡単に済んだらしく、吉見が、千円札を何枚か易者に手渡すところだった。
そして、酔っているにしては、何やら重そうな足取りで、追いついてきた。
「深刻そうだな。何を言われた?」
「まずね、あの易者はよく当たるんだよ。今夜みたいに待ちがないのは珍しいんだ」
「だから、何と言われたんだよ」
「死相だってさ。強い死相が出ていると。数日経たずに、間違いなく大きな不幸に出会うと。あの易者は、特に人のわざわいを言い当てるので有名なんだ」
「馬鹿馬鹿しいな。死相ときたか。先月、南米だったかで飛行機が落ちて、何十人も死んだだろ。搭乗前、犠牲者の全員に死相が出ていたのか?」
私は煙草に火を付けた。路上喫煙禁止の地域のはずだが、我慢できん。

「・・・あの易者のもう一つの人気のわけは、その不幸から逃れられる確実な方法を教えてくれるからなんだよ」
「この自家製厄除け御守り数万円也を買えってか?」
「やけに否定的だね。そんな物は売ってないよ。酷い悪運ほどね、逆にちょっとした習慣を変えることで、簡単に逃れることができるそうなんだよ」
「習慣?」
「例えば、その悪運の人が長年なじんだ通勤経路を変えるとか、ウィスキーはいつもロックなのを、一回だけハイボールにしてみるとか。長く続いた習慣ほど効果的らしい。それで運命、つまり可能性の未来は変わると言っていたよ」
「じゃぁ、そうすりゃいいじゃないか?簡単だろ?・・・それにしては、えらく不安そうだぜ。金を払って不安を買ってどうする。忘れちまえよ。タクシーを奢るぜ」
煙草を携帯灰皿にねじ込み、流してくるタクシーに手を上げた。吉見の家は、ここからだと、私のマンションの少し手前にあたる。払ってやろう。
予想どおり雨が当たり始めた。
翌朝、まだカーテンの向こうが薄暗い中、チャイムがなる。時間からして、まず吉見に違いない。
古い付き合いであり、互いに無礼講は承知だが、早朝はきつい。
吉見の顔には、一目見て憔悴の色が漂っていた。昨夜の占いのご託宣が尾を引いているのだろう。
目の周りの薄い隈は眠れなかったのかも知れない
珍しいことだ。吉見は占いやら運勢やらを信じやすかったが、だからといって、それを怖がるようなタイプではない。
むしろ、その通りになるかどうか、興味津々で面白がるところがあって、この反応はよほどのことだ。
「起きたところだ。顔も洗っていない」
「早くから、すまないね。まぁ、顔くらい洗って。朝飯は、俺が用意するよ。どうせシリアルだろ」
「いいよ、座っていてくれ。顔だけ洗ってくる」
顔をざっと洗って居間に戻ると、吉見が、トレイにのせた湯気の立つカップを運んできた。
「飯は後にして、まぁ、取りあえず、これだけでも」
「すまんな。で、何か話があるんだろ、昨夜の続きか?」
「まぁね。とにかく、これを飲んでから、ゆっくり」
吉見に勧められるまま、カップに口をつける。
「なんだ、これは?紅茶じゃないの。まぁ、たまには悪くないな。葉っぱは、わざわざ持ってきてくれたのか?」
私は、花のような香りのする二口目を口に含んだまま吉見を見る。
吉見の顔に、なぜか、安堵の色がゆっくりと広がっていった。
そう言えば、朝に紅茶を飲むなど何年ぶりだろう。
私はいつも珈琲だ。
降ってきそうだ。
タクシーを拾おうと、十メートルも歩かないうちに、吉見が足を止めた。
すでに閉まったビルのシャッターの前、小さな机を置いた女易者の前だった。
机の上には、妙な絵柄のカードやら曼荼羅みたいな絵やら、いくつかの小道具が並んでいる。
易者と目が合ってしまったが、いかにもそれらしく目元をきつく化粧した、中年少し前くらいの女だった。

「行こうぜ。降ってきそうだ」
「や、先に行ってよ。すぐ追いつくよ」
どうやら吉見が客になりたそうなので、私は、急ぎ足で、次の交差点の信号の下まで歩いて煙草を探った。
振り返ると、占いは簡単に済んだらしく、吉見が、千円札を何枚か易者に手渡すところだった。
そして、酔っているにしては、何やら重そうな足取りで、追いついてきた。
「深刻そうだな。何を言われた?」
「まずね、あの易者はよく当たるんだよ。今夜みたいに待ちがないのは珍しいんだ」
「だから、何と言われたんだよ」
「死相だってさ。強い死相が出ていると。数日経たずに、間違いなく大きな不幸に出会うと。あの易者は、特に人のわざわいを言い当てるので有名なんだ」
「馬鹿馬鹿しいな。死相ときたか。先月、南米だったかで飛行機が落ちて、何十人も死んだだろ。搭乗前、犠牲者の全員に死相が出ていたのか?」
私は煙草に火を付けた。路上喫煙禁止の地域のはずだが、我慢できん。

「・・・あの易者のもう一つの人気のわけは、その不幸から逃れられる確実な方法を教えてくれるからなんだよ」
「この自家製厄除け御守り数万円也を買えってか?」
「やけに否定的だね。そんな物は売ってないよ。酷い悪運ほどね、逆にちょっとした習慣を変えることで、簡単に逃れることができるそうなんだよ」
「習慣?」
「例えば、その悪運の人が長年なじんだ通勤経路を変えるとか、ウィスキーはいつもロックなのを、一回だけハイボールにしてみるとか。長く続いた習慣ほど効果的らしい。それで運命、つまり可能性の未来は変わると言っていたよ」
「じゃぁ、そうすりゃいいじゃないか?簡単だろ?・・・それにしては、えらく不安そうだぜ。金を払って不安を買ってどうする。忘れちまえよ。タクシーを奢るぜ」
煙草を携帯灰皿にねじ込み、流してくるタクシーに手を上げた。吉見の家は、ここからだと、私のマンションの少し手前にあたる。払ってやろう。
予想どおり雨が当たり始めた。
翌朝、まだカーテンの向こうが薄暗い中、チャイムがなる。時間からして、まず吉見に違いない。
古い付き合いであり、互いに無礼講は承知だが、早朝はきつい。
吉見の顔には、一目見て憔悴の色が漂っていた。昨夜の占いのご託宣が尾を引いているのだろう。
目の周りの薄い隈は眠れなかったのかも知れない
珍しいことだ。吉見は占いやら運勢やらを信じやすかったが、だからといって、それを怖がるようなタイプではない。
むしろ、その通りになるかどうか、興味津々で面白がるところがあって、この反応はよほどのことだ。
「起きたところだ。顔も洗っていない」
「早くから、すまないね。まぁ、顔くらい洗って。朝飯は、俺が用意するよ。どうせシリアルだろ」
「いいよ、座っていてくれ。顔だけ洗ってくる」
顔をざっと洗って居間に戻ると、吉見が、トレイにのせた湯気の立つカップを運んできた。
「飯は後にして、まぁ、取りあえず、これだけでも」
「すまんな。で、何か話があるんだろ、昨夜の続きか?」
「まぁね。とにかく、これを飲んでから、ゆっくり」
吉見に勧められるまま、カップに口をつける。
「なんだ、これは?紅茶じゃないの。まぁ、たまには悪くないな。葉っぱは、わざわざ持ってきてくれたのか?」
私は、花のような香りのする二口目を口に含んだまま吉見を見る。
吉見の顔に、なぜか、安堵の色がゆっくりと広がっていった。
そう言えば、朝に紅茶を飲むなど何年ぶりだろう。
私はいつも珈琲だ。